ON/OFF - 私の抱える病について vol.1


Hello there via Love, Alcohol and Dubstep


建築家・作家その他多様な活躍で知られる坂口恭平さんの著作にインスパイアされ、私も自身の抱える病を公にしようと思い立ちました。
なぜなら、きっとその方が楽に生きられるから。
恐らく、治らない病だから。

件の著作名は、『坂口恭平 躁鬱日記』。
私も氏と同じく、躁鬱病(双極性障害2型)に長いこと悩まされているのです。


私の場合、躁鬱病自体は恐らく生まれつきです。
後述しますが、一番古い記憶である幼稚園の頃からその影響がありました。
しかし、重篤な症状ではなかったので20代初頭に境界性パーソナリティー障害を決定的に併発するまで、精神科に通う事なく過ごしていました。

20代の頃は境界性にひたすら悩まされ、生存がやっとという状態でしたが、こちらは35歳位までには寛解する人が多く、名医に出会えたこともあり、私も例に漏れず寛解。現在は躁鬱病の治療のみ行っています。
躁鬱病の原因は未だ解明されていませんが、心の病ではなく脳の疾患である事、遺伝的要因もある事は指摘されており、境界性パーソナリティー障害との併発が多い事も特徴的です。


私は、記憶のある2〜3歳位の頃には「宵っ張りの朝寝坊」と言われていて、未だに"寝落ち"以外では寝ることができません。就寝前の薬を飲んでいても変わりません。
精神科医いわく、躁鬱病の人はON/OFFのスムーズな切り替えがうまく出来ないから、一度上がったテンションを鎮めることが下手なのだと。逆も然りで、落ちたテンションを上げるのも下手。
要は、一日活動して軽躁状態になっているので寝られない。無理に寝ようとすると、アクセルを吹かしたままの車を急停止しようとするとブルンブルンとエンジンが震えるように、不安発作、パニック症候群として症状が出てしまう。現在処方されている就寝前の薬を飲む前は、寝る事が恐怖でなりませんでした。
また、一度寝付いてテンションが落ちると上げるのに困難するので、寝起きも悪い。これが、私の躁鬱病が恐らく生まれつきである事のひとつの理由です。


次に思い出すのは、中学生の頃のエピソード。
小学校から高校まで一緒だった親友に、「毎年五月病だよね」と言われたのです。
当時は自覚が無かったので、正直驚きました。


そして高校の頃には、学校をサボって引きこもる事が増えました。但し、小学校から一貫の、かなり癖の強い私立学校で全く肌に合わず、大好きなファッションや趣味が合う友人も殆どいなかったというのが一番の理由。
サボると言っても、夜遊びして帰って来ない等ではなく、ひたすら家で本、漫画、雑誌、映画に没頭していたので、親公認で休んでいました。
寝るのが怖い上に、暗所恐怖症でもあるので、修学旅行も親公認で欠席。

私にとって高校の引きこもり時間は現在の主軸となっています。
独り孤独でしたが、蝉の蛹のようにぬくぬくと、心中はアートに胸踊らせときめき、素晴らしき映画、漫画に大興奮し、誰向けでもない自分のためだけのファッションに身を包みながら、美大入学して羽化するのを待つ、ある意味至福の時でした。
しかしこの登校/引きこもりの波は、躁鬱病の先駆的症状であったように思います。また、その後決定的になる摂食障害が出始めたのもこの頃。


受験の時は、長い長い躁状態にありました。担任から、学科は問題ないので絵に集中して良しと免罪符を貰ったので、授業中は席近くの友人をデッサン、美大受験予備校へ向かう電車内では車中の人々をデッサン、予備校を終えたら寝る前にもデッサン。毎日最低100枚ノルマで描き、睡眠時間はかなり短かかったです。


その甲斐もあって無事現役合格。
苦痛で詰まらなくてならなかった小中高から、一気に楽しい毎日と面白く刺激的かつ共通の話題がある友人たちに恵まれ、この世の春!といった躁状態はそう長くは続きませんでした。
"描かされていた絵"から、"自作を生み出す"に至る時にぶつかる壁、「描けない」。
あるいは、全国から選ばれた学友という名のライバル達への焦燥。(素直に感動する事の方が多かったですけどね)


これを経て、私の躁鬱病は顕在化しました。
鬱の時に作品の根幹となる"澱"のようなものをシトシト溜め込み、躁転したら一気に降って湧いてくるアイデアの槍で"澱"を昇華し、恐るべき行動力で仕上げる。
この様に、軽度の躁鬱病は作品制作だけを行う場合においては大きな支障がないため、精神科のお世話にならずに済んでいたのでした。





長くなりましたので、今回はここまで。
よろしかったら次回もおつきあいください。
続きはコチラ→ vol.2


坂口恭平 躁鬱日記 (シリーズ ケアをひらく)

坂口恭平 躁鬱日記 (シリーズ ケアをひらく)