ON/OFF - 私の抱える病について vol.2


Segundo Aniversario LMdT via La Medicina de Tongoy


【前回のあらすじ】
恐らく生まれつきである自身の病、躁鬱病は、難治かつオープンにする方が楽に生きられるだろうと、『坂口恭平 躁鬱日記』に触発され、書くことを一念発起。幼少期は病状が顕著でなく、顕在化した美大生時代も躁鬱の波を利用して制作していたので、精神科に通うことなく済んでいたのでした。
詳しくはコチラより読んでいただけたら嬉しいです→ vol.1



鬱で作品の原料を溜め込み、躁で一気に制作という形はむしろ良いバランスだったのですが、一方で高校の頃から出始めた摂食障害がやや悪化。
大学院の時には、「食」をテーマにした作品ばかり制作するようになっていました。


その後、幼少期の家庭的事情に端を発する境界性パーソナリティー障害を、とある一件により一晩で決定的に発症し、躁鬱病摂食障害も一気に悪化しました。

境界性の決定的発症を具体的に言うと、自傷行為のはじまりです。
しゃくりあげる号泣と自傷が一晩中。そのまま朝になっても止まないので、予約無しで直ぐに診てくれる所!と、すがるように近所の精神科(心療内科)へ初来院。その時診断された病名は、不安神経症でした。
その後幾つもの精神科を受診するも、不安神経症パニック障害鬱病と言われるだけで一向に良くならない時期が続きました。


私は大学卒業後、これまた坂口恭平さんと同じく就職はせず、奇しくも氏と同様に都内のホテルでバイトしていたのですが、PhotoshopIllustratorを使える人がいないので手伝って欲しいと、いわく因縁あった父に頼まれ、入社。

しかしやはり私に会社勤務は向いていなかった。しかも父と共に…。
結果、全ての病状が益々悪化し、この頃の自傷は切る・殴る・焼くの3コンボ。
カッターで切った上から、瓶など固いもので殴りつけ続けるので、常に真紫に熱く腫れ上がった酷い打撲傷と裂傷。さらにライターなどによる火傷もあるから湿布を貼れない状態。
そこまでいって耐えかね、自傷のことは隠して「鬱だから会社を辞めたい」と伝えただけなのに、ブランド志向の父は大学病院の精神科へ強制連行。


ところが、これが良かった!
ここではじめて、境界性パーソナリティー障害と躁鬱病(双極性障害2型)と診断され、これらの権威である医師を紹介してもらう事ができ、はじめて治療への道を歩む事となりました。


因みに私は周囲を巻き込むことが少なめの自己否定・自責系なので、自傷も余り人目につかない所ばかり。つまり手首は切らない。
だから自身から告白したり患部を見せた人以外に気づかれることはありませんでした。
それでもやはり悪名高い境界性。しかも躁鬱病併発型なので様々なことをやらかしてはいましたが、この医師の甲斐あって確実に着々と良くなっていき、年齢的な事も関係してか、寛解

両者は同様の症状があるので混同されやすいのですが、精神療法(カウンセリング)不要となり、心中の混乱が消失し、両親との関係改善されたことなどから、寛解と診断されました。


やらかしの具体例は痛かったり重かったりなので書くか迷う所ですが、生存で精一杯だった状況説明として数点挙げると、三車線道路走行中の車やマンションのベランダから飛び降りようとしたり、カッターを持って暴れたり、街中で暴力衝動に襲われ、周り一面血みどろの幻覚や血の匂いを幻臭する解離を起こしたり…。


これらに付き添って支え、見守り、助けてくれたのが現在の夫。
こうした病状が寛解したのだから、医師と夫と加齢に感謝です。

長くなりましたが、これが私の今までの経緯です。




さて、ここからは私の現状と、躁鬱病の症状などについて書いていきます。

躁というのは余り一般的でないのでイメージし辛く、危険性もわかりにくいかと思いますが、幸せハッピー♪というわけではありません。
以下は私の症例ですが、大まかに躁状態の一般的症状です。


とにかく抑えが利かなく、過剰になる。やり始めたら異常没頭して止まらない。多弁になる。アイデアが槍のように、天からのお告げの如く降りそそぎ、ジッとしていられない。
そして眠れず、食べられなくなる。当然肉体的負担はあるのだけれど、眠らず食べずで活動し続けられる完全体に覚醒。(私の場合、鬱の時に過眠・過食になる)
一方で、喉が異常に乾いて多飲になり、チェーンスモーカーになってしまう。

坂口さんは著作で「鮮明すぎる。解像度が高くなりすぎている」と表していましたが、事象に異常に過敏になり、視覚自体も世界がクッキリパッキリ。炎天下の貧血前のようにギラギラ光って見えます。
ここまでならまだ良いのですが、何かしらへの焦燥感の様な感じにイライラジリジリして怒りっぽくなったり、暴力的になったり、泣き出したりもするので困りもの。

また、私の場合、鬱から躁に急性的に転換する事が多いので、自殺する元気もなかった状態から一気に自殺行動へ向いてしまったり、暴力衝動がやはり自分へ向かった結果自傷してしまったりが多いです。


こうした症状や、普段なら絶対に踏み込まない領域へ踏み込んでしまったりといった過剰行動が、人間関係・社会生活に悪影響を及ぼすため、躁状態も多分に危険視されています。




そして一転、鬱状態に陥ると、躁の時にやらかした自分のあれこれが、中二病に置ける黒歴史の如くどうしようもなく恥ずかしく後悔することばかりで消えてしまいたくなってしまうのです。

それは作品に関しても同様で、自作がとんでもない駄作に思えてくる。
それが果たして鬱状態の自己否定的マイナス思考ゆえなのか、あるいは本当に良作ではないのかの判断がつかず、とても苦しい。

結果、躁状態の時は何かしらやらかしてしまうのは痛いほどわかりきっているので、その恐怖から、いくらでも活動できるはずの躁状態の行動を自己制限してしまうように…。



私の中のふたつの人格が、互いに相互を否定・制限。
動きたいのに動けない。
真ん中の私はどこにいる!?
明るい未来はどっちだ!?




さてさてまたもや長くなったので次回に続きます。
どーしょもない現在からの脱却と、最新の私について書きます。
続きはコチラ→ vol.3

坂口恭平 躁鬱日記 (シリーズ ケアをひらく)

坂口恭平 躁鬱日記 (シリーズ ケアをひらく)