「無償で当然」という思想


via Stone Sculptures by Hirotoshi Itoh

一つ前のエントリ【どうしてプロに無償で仕事依頼しちゃダメなのか - 原価のある、時間】が、一年以上前の記事なのに何故か突然一昨日から大きな反響をいただいております。
2014/6/13午後2時時点でブックマーク285ユーザ、Facebookのいいね!が11万、Twitterの通知も鳴り続けたまま。
Yahoo!バズニュースとグノシーに取り上げられたのが要因と思われますが、その発端はなんだったのだろうと不思議に思いつつ驚きでいっぱいです。

多くの方に読んでいただき賛否いただいたのと、一年以上前の記事であることを鑑み、少々補足させていただこうと久しぶりにブログ更新します。


まず、当該記事は、私自身がイラストレーターなので、主にクリエーターを視野に入れた内容になっています。そのため、少々の偏りがあることはご承知おきいただけたらと。
次に、私自身過去にむしろ進んで無償で制作を行った事もありますし、全ての無償案件を否定はしていません。また、報酬=金銭と捉えているわけでもなく、繰り返しになりますがケースバイケースと考えています。今後も魅力的な企画をいただけたら「宣伝のため」等の見返り(報酬)一切なくともコラボする事はあると思っています。

ただただ、「無償で当然」と考えている方が案外多いので、そういった方々にちょっと考えて欲しいと思って書いた次第です。
この記事が大きな反響をいただいている事こそが、色んな職種のたくさんの方々が苦渋を飲んだことのある証左だと思います。



「無償で当然」という考え方は、昨今、ネットコンテンツ(特にスマホアプリ)に対してそうみなしている人が多いように思います。
APP Storegoogle playのレビュー欄には、一部課金制の無料アプリに対して「無料といいつつ有料だった」とか「守銭奴」「課金ゲー」「広告うざい」などの意見が案外多いです。
ではそのアプリの開発費はどうやって調達するのでしょうか?開発者はどうやって生活していけば良いのでしょうか?

一方で、数万円単位の課金を多くの人がしているスマホアプリも存在します。
そうした課金アイテムは、アバターアイテムやカードなどのイラスト、テキストの事が多く、体力回復アイテムなどは不人気。つまり、”モノ”として手元に残る、お金を払って”買った”感覚の強いものに課金される傾向がある。

ここにも、「金=モノ」という、物々交換的な原始的経済観念の強い人が多い傾向が見てとれるかなと、そんなことも考えたりします。

逆に言えば、”モノ”を”買った”気にさせるコンテンツ作りが、ネットビジネスの鍵なのかもしれないな、なんて。。