歴史の遺恨と語り方


箱館戦争図 函館奉行所公式ウェブサイトより

大河ドラマ『八重の桜』で取り上げられて注目を受けている幕末。
私がふと思い浮かぶのは、幼い頃に聞いた戊辰戦争の遺恨、因縁なんです。


私は東京生まれなんですが、母の実家は代々会津
子供の頃、お盆には毎年出かけていました。
母の実家は本家なので、小規模ながらもアニメ『サマーウォーズ』のような賑わい。
女達は台所に立ち、子ども達は勝手に遊ぶか、酔っ払った男達の相手。


そんな時、数度に耳にしたのが、薩長への独特な思いと戊辰戦争を忘れないといったセリフ。

そんな事を言っていたのは酔った数人で、周囲はやれやれといった目で見たり、笑ったり。
でも、決して否定はできないといった雰囲気でした。



子どもだったので意味はわからずとも、微妙な話題であることと、なんとなくの嫌な感じをよく覚えてます。

おかげで私は、「九州とか(子どもなので長州と九州と鹿児島があわさってぼんやりした地域像)の話はなんかあって微妙なんだな」とか、「話したら嫌われることもあるのかもしれないな」なんてぼんやり思うようになり、実際に九州や山口の人達と触れるまではあまり良い印象を持ってなかった位に、その発言に引きづられることに。
(よもや九州男と結婚するなんて!しかも九州に住むようになるなんて!!!)



思い起こせばざっと20数年前くらいなので、当時すでに戊辰戦争から約120年。
おいおいおい……と。
オッチャン、ちょっと恨みが長続きし過ぎじゃない?と。


と、思いきや、ありました。

今から27年前の1986年。
戊辰戦争からちょうど120年を記念して和解をと、山口県萩市から福島県会津若松市へ友好都市提携の申し入れがあるも、

会津若松市民の間から「時期尚早である」

「我々は(戊辰戦争の)恨みを忘れていない」

当時の福島県知事松平勇雄を指し「孫がまだ生きている」との意見があり、

拒否。。。


同時期に、現在進行形&市民レベルで恨んでたーー!!!

ぜんっぜん、うらんでた……

(参考:萩市wiki / 会津若松市wiki



ちなみに両者は3.11後、会津若松市萩市からの義援金や支援物資を受け取り、両市長が"はじめて"相互訪問を果たしたとこことにより、積極的な和解への道へ進んでいるようです。(やっと!)

それらを伝えたニュースの見出しやテキストにも因縁が書かれています。

 "会津若松へ長州・萩から義援金 旧敵でも「ありがたい」 - 朝日新聞"
  →今もわだかまりを抱える関係にあるが…
 "「萩市民号」が会津若松市訪問 市長ら懇談、交流促進へ - 山口新聞"
  →今なおしこりが残るとされる両市だが…




しかし、幕末の戦による遺恨や因縁は、福島と山口だけじゃない。
2011年3月の九州新幹線鹿児島ルート全線開通にあたって、鹿児島と熊本、お互いの因縁が表沙汰になりました。


2010年9月、鹿児島-大阪を結ぶ新幹線の名称が"みずほ"で最終調整されていた際、
鹿児島県の伊藤知事は、"みずほ"は過去に東京-熊本間を走行していた寝台車と同じ名前であることを挙げ、

「熊本で止まっていたやつの名前が付いちゃったんですよ。(JRから)事前に相談があったら反対していた」と語り、熊本との因縁をあらわに。
("「熊本で止まってたやつ」新幹線名に知事不満 - 読売新聞 ")


同年翌月には逆に熊本県が、JR九州の採用していた全線開通PRキャラクター"西郷どーん"に対して、

西郷隆盛西南戦争で熊本城に攻め込んだ人物だけに、県民から「熊本には似合わない」と不評であるとして反発。

結果、熊本駅のカウントダウンボードのキャラクターが"くまモン"に差し替えられたことになったんです。
("熊本駅で「くまモン」ボード披露 西郷さんから変更 - 47NEWS")


萩・会津若松もそうだけど、鹿児島・熊本の話もつい最近!!
幕末の因縁、今もぜんぜんアチコチで残ってる!!!




さらには県単位でなく、より個人的な単位での遺恨もある。

私が偶然ネットでみつけた方は、「坂本龍馬があまり好きではない」という。

海援隊大洲藩から借用して初航海へ乗り出すも、紀州の明光丸と衝突して沈没した、いろは丸事件。
その方のご先祖は大洲藩の航海技術者で、海援隊に誘われるも断ったという。
その後いろは丸沈没により、ご先祖様の上司が船舶の監督不行き届きの責任を受けたらしいので、自身のご先祖様もそのとばっちりのいくらかは受けたかもしれないから。
とのこと。


大洲藩にとって億単位の損失ではあるけれども人死は出ていないし、事故なのだから坂本龍馬が悪いとは言い切れない。
交渉術による結果でもあるようだけど、紀州藩が7万両もの賠償金を支払ったことを考えるとむしろ……

正直、傍からみるとちょっと不思議です。
本人もそれがわかっているから、苦笑しながら書いている感じ。


でも、その方いわく「そんな話を小さい頃から聞かされていたので」


私、この一言で納得しました。
三つ子の魂百までじゃないけど、小さい頃に聞かされていたことは残る。


善悪の判断基準がまだ未発達なところに"悪"と仕込まれると、その後、完全なる"善"に転じさせるのは容易ではない。

例え、その事柄は全く"悪"ではないと理解できても、シコリのない真っさらな状態にはなかなかできないんですよね。




では、どうするか。

世界的に見たら、歴史的な遺恨・因縁なんて本当に呆れ返って嫌になるほどある。
それ故に未だ戦って血を流している地域もある。

しかし個人的に考えても、私が九州男と結婚して、九州に住むようになったことを余り好意的には思わない人が親戚にいるかもしれないし、なんかひょっとしたらちょっと申し訳ない感じなのかなといった程度に考えるくらいの不安は、ほんのちょっとだけあるんですよね。
(こんな書き方しかできないくらい、すごく微妙なんです。自分でもなんでこんな風に思うのか理解できなくて笑っちゃう)

たった数回、遺恨や因縁を耳にしただけの私ですら、未だにこんな微妙な気持ちを抱えているんです。

パレスチナでは、アフガンでは、如何ほどか……。



言い古されてますが、やはり歴史の語り方が大事なんだと思います。
負の歴史こそ、気をつけて語らねばならない。

凄惨な事実は語れども、恨みは決して語らないこと。

特に、判断基準が未発達な子どもには、絶対に恨みを語らないこと。

悲しい歴史を繰り返したくないと思うなら、後年に思いを繋ぎたいならば、これを守ることが大事だと改めて思いました。


しかし逆に、子どもにあえて英才教育という名の洗脳を施すことが意図的にも無意識的にも世界中で成されている。
そんなことでは問題は解決しないと、恨みがはらされることも決してないと周知され、根絶されることを祈るばかりです。





(だから、ぶっちゃけ西郷隆盛に良い印象がないのはナイショだよー!)