『父性』の謎

私はかねてより『父性』というものがよく分からない。
いつ芽生えるのか、どういったものなのか。
存在する事は当然わかっているが、その芽生えには
ある程度共に暮らす事が必要なのではないかと考えている。
「妻のお腹の中にいる時から愛しくてならなかった」という男性も多いかと思うが、
それは恐らく妻や子供への愛情であり、『父性』とは別物だと。
母親は妊娠期間に胎動などから『母性』が芽生えていくかもしれないが、
妊娠・出産しない父親の場合、産まれ、共に暮らしたり世話したりしている間に
子供が反応したりしてきた時の感情こそを『父性』と呼ぶのではないだろうか?


私の父親はかなり歪んだ形でしか愛情表現できない人だ。
ハッキリ言ってしまえば何を考えているのか良くわからない人。
取り付く島もなかったり、見え透いたウソで逃げられたり。
かと思いきや、あしながおじさんの様に優しく援助し、紳士的に接してきたり…
全く掴みどころのない人物である。

そんな父が私を撮った、とある8mmビデオがある。
それは余りにも薄気味悪いので封印され、今は存在してるのかさえ分からない。

私がもうすぐ小学校といった位の年頃。
妊娠中から別居状態だった母の同意を得て、私と父は海辺へ一泊旅行に出かけた。
フィルムに映されている私は砂浜で一人きりで遊んでいる。
そのうち、一人遊びに飽きた私はカメラに向かって話しかける。
「ねぇ、パパ!なにしてるの?一緒に遊ぼうよ!」
しかしカメラのこちら側にいる父は返事する事すらなく
ひたすら少女の私の姿をカメラで追い続ける。
私はどんどんレンズに近づき、泣きそうな顔でひたすら訴え続ける。
それでも父はただただ無言で撮り続ける…


私はこれを中学の時にはじめて見て、鳥肌がたった。

今は彼なりの愛情表現と頭では理解できる。
父は私をとても愛しながらも、一緒に遊ぶという行為のできない人だったのだ。
レンズ越しでないと娘と接する事ができなかったのだ。

謎なのは、これも『父性』と言えるのか否か。